Home / Series / 平清盛 / Aired Order /

All Seasons

Season 1

  • S01E01 ふたりの父

    • January 8, 2012
    • NHK

  • S01E02 Unknown

    • January 15, 2012
    • NHK

  • S01E03 Unknown

    • January 22, 2012
    • NHK

  • S01E04 Unknown

    • January 29, 2012
    • NHK

  • S01E05 Unknown

    • February 5, 2012
    • NHK

  • S01E06 Unknown

    • February 12, 2012
    • NHK

  • S01E07 Unknown

    • February 19, 2012
    • NHK

  • S01E08 Unknown

    • February 26, 2012
    • NHK

  • S01E09 Unknown

    • March 4, 2012
    • NHK

  • S01E10 Unknown

    • March 11, 2012
    • NHK

  • S01E11 Unknown

    • March 18, 2012
    • NHK

  • S01E12 Unknown

    • March 25, 2012
    • NHK

  • S01E13 Unknown

    • April 1, 2012
    • NHK

  • S01E14 Unknown

    • April 8, 2012
    • NHK

  • S01E15 Unknown

    • April 15, 2012
    • NHK

  • S01E16 Unknown

    • April 22, 2012
    • NHK

  • S01E17 Unknown

    • April 29, 2012
    • NHK

  • S01E18 Unknown

    • May 6, 2012
    • NHK

  • S01E19 Unknown

    • May 13, 2012
    • NHK

  • S01E20 Unknown

    • May 20, 2012
    • NHK

  • S01E21 Unknown

    • May 27, 2012
    • NHK

  • S01E22 Unknown

    • June 3, 2012
    • NHK

  • S01E23 Unknown

    • June 10, 2012
    • NHK

  • S01E24 Unknown

    • June 17, 2012
    • NHK

  • S01E25 Unknown

    • June 24, 2012
    • NHK

  • S01E26 Unknown

    • July 1, 2012
    • NHK

  • S01E27 Unknown

    • July 8, 2012
    • NHK

  • S01E28 Unknown

    • July 15, 2012
    • NHK

  • S01E29 Unknown

    • July 22, 2012
    • NHK

  • S01E30 Unknown

    • July 29, 2012
    • NHK

  • S01E31 Unknown

    • August 5, 2012
    • NHK

  • S01E32 Unknown

    • August 19, 2012
    • NHK

  • S01E33 清盛、五十の宴

    • August 26, 2012
    • NHK

    1167(仁安2)年、乙前(祇園女御:松田聖子)は京にとどまり、後白河上皇(松田翔太)に今様の稽古をつける日々を送っていた。後白河上皇は乙前に京にきた理由と清盛(松山ケンイチ)との関係を聞くが乙前はあいまいにしか答えなかった。 六波羅の清盛邸では清盛に、重盛(窪田正孝)らが、朝議で音戸の瀬戸の開削が決定したことを報告した。朝議には宗盛(石黒英雄)や時忠(森田剛)も参加していた。清盛はわずか百日で太政大臣を辞任していたが、思惑どおりに事をすすめていたのである。精力的に働く清盛は、妻・時子(深田恭子)が五十の賀の宴をしたいと話しても、五十歳になるのが清盛自身のことだとは気がつかないほど、自らの夢にまい進していた。 清盛の義理の妹である滋子(成海璃子)は、後白河上皇との子・憲仁(のりひと)親王(のちの高倉天皇)が東宮(次の天皇)になったことで権勢を強めていた。ある日、滋子は後白河上皇の前で見事な舞を披露した。舞の途中で雨が降っても平然と舞う滋子の姿に上皇の近臣・西光(加藤虎ノ介)や成親(吉沢悠)らも口々にほめそやした。 そこへ以仁(もちひと:柿澤勇人)と八条院暲子(あきこ:佐藤仁美)が訪ねてきた。以仁は後白河上皇の子であり、以仁の養母である八条院は鳥羽法皇と美福門院得子の娘、後白河上皇の異母妹だった。憲仁がすでに東宮と定められたにもかかわらず、彼らは以仁こそが嫡流だと訴えた。後日、滋子は実の兄である時忠を呼び出し、東宮のわが子憲仁の座を安泰にするため、平家の力を使い、以仁を邪魔立てするよう画策するのだった。 嚴島神社で清盛は神

  • S01E34 白河院の伝言

    • September 2, 2012
    • NHK

    1168年、 突然熱病におかされ意識を失い、病床に伏した平清盛(松山ケンイチ)。薬師(くすし)の診断で原因は寸白(すばく・寄生虫)と判明したものの、手元の薬では治せず、祈るよりほかに手だてはない。万一の事態も覚悟し、今は落ち着いてなすべきことをせよと、時子(深田恭子)は一門に命じる。 清盛危篤の知らせは、たちまち都のみならず、后の滋子(成海璃子)とともに熊野詣でに向かう途上の後白河上皇(松田翔太)や、果ては源頼朝(岡田将生)の暮らす伊豆にまで届く。そして平家一門のみならず、朝廷や貴族、諸国の武士など多くの人々の心に波紋を呼ぶ。後白河上皇の一行は、この一大事に御所を空けていては危ういと判断し、京へとってかえすが、その途上で大雨に見舞われ、足止めを食らう。 清盛が回復するまで一時的に長男・重盛(窪田正孝)が平家を率いることになった。しかし時子の弟・時忠(森田剛)は三男・宗盛(石黒英雄)に、清盛が亡くなった場合は棟梁になれとけしかける。重盛と違い宗盛は正室である時子の子だからだった。鉄壁に見えた平家一門にかすかな亀裂の兆しが見え始めていた。 死の淵(ふち)をさまよう清盛の意識は、時をさかのぼって胎児のころに飛び、生母・舞子(吹石一恵)の腹の中へとたどりつく。そして、白河法皇(伊東四朗)や祇園女御(ぎおんのにょうご・松田聖子)とのやりとりを見聞きする。横暴な白河法皇の子を宿した舞子を祇園女御は心配していた。 やがて白河法皇は養女とした璋子(たまこ:檀れい)が病床に伏したことを知り、陰陽師に病状を探らせる。その病の原因が、舞子が

  • S01E35 わが都、福原

    • September 9, 2012
    • NHK

    1168(仁安3)年2月。死の淵(ふち)から奇跡的に生還した平清盛(松山ケンイチ)は、第二の人生に踏み出した。その手始めに、比叡山延暦寺を収める僧侶・明雲(腹筋善之介)を呼び、明雲の導きで出家したいと依頼する。明雲は昔から朝廷への強訴などで敵対することが多かった山法師の自分になぜ頼むのかと清盛に尋ねると、白河法皇も手に負えなかったという山法師と今後は協力関係を築きたいからだと語った。 そして清盛は明雲の手により出家。集まった平家一門の前で清盛は頭を丸めた姿を披露、妻・時子(深田恭子)もあわせて出家していた。清盛危篤の知らせを聞いて大宰府からかけつけた頼盛(西島隆弘)も清盛の姿に目を丸くした。清盛は一門の前で、海に近い福原(神戸)に隠居することを表明。六波羅を重盛(窪田正孝)にまかせることとした。 後白河上皇(松田翔太)は、清盛のこうした動きを警戒、滋子(成海璃子)との子・憲仁親王を高倉天皇として即位させ、自らの威信を示した。滋子が皇太后になったことで、平家内にも変化が生まれた。滋子の姉・時子の子である宗盛(石黒英雄)が皇太后宮権大夫という要職につく一方で、同職にいた頼盛は辞任を余儀なくされた。さらに、頼盛は滋子への奉仕を怠り、後白河上皇は清盛を呼びつけてそのことを叱責した。清盛は頼盛を六波羅に呼び、大宰府と京とを往復する頼盛の大変さはわかるが、そのことは勤めを怠る言い訳にならないと言う。すると、頼盛は自分の不満を初めて訴えた。重盛や宗盛、時忠(森田剛)はすでに参議であったが自分はまだなれず、それは保元の乱の折に清盛に背い

  • S01E36 巨人の影

    • September 16, 2012
    • NHK

    京の鞍馬寺では、源義朝の子・遮那王(神木隆之介)が修行に励んでいた。この遮那王こそ、後の義経である。遮那王の母・常盤(武井咲)はあえて遮那王に自分の父が源義朝であることや、平清盛(松山ケンイチ)が父の敵であることを教えていなかった。それは遮那王を戦乱にまきこまないための配慮だった。 1169年清盛は福原(神戸)の別邸に後白河上皇(松田翔太)を招き、千僧供養をおこなった。大勢の僧たちの中心には、僧侶たちを束ねる導師・比叡山延暦寺の明雲(腹筋善之介)がいた。後白河上皇は、明雲と清盛の関係が突然、親密になったことを不審に感じていた。 清盛は大輪田泊の改修に本腰を入れるため、福原に移住。京の留守は任せたと、嫡男・重盛(窪田正孝)に平家の棟梁の座を譲り渡す。後白河上皇の近臣・藤原成親(吉沢悠)は平家の内情を探るため、義弟である重盛と酒をくみ交わした。重盛は自分が清盛の正室・時子(深田恭子)の実の子でないため、平家の棟梁として認めない者もいるはずだと不安がっていた。成親は重盛を励ましつつも、重盛の気弱な一面を冷ややかに見つめていた。 4月、時子の妹であり、後白河上皇の妃・滋子(成海璃子)は院号宣下を受け、建春門院となった。朝廷での建春門院の力は著しく増し、その兄・時忠(森田剛)や甥・宗盛(石黒英雄)が院の司に任じられるなど重用された。建春門院が時忠、宗盛らを集めて開いた酒宴の席で、建春門院の豪快な飲みっぷりを見て、時忠は宗盛にもっと自信をもつようささやく。建春門院の姉・時子こそが宗盛の母であり、宗盛こそが平家の嫡流と時忠は説いた。

  • S01E37 殿下乗合事件

    • September 23, 2012
    • NHK

    新しき国づくりをめざす平清盛(松山ケンイチ)は、宋との交易の窓口を大宰府ではなく福原にするため、宋の要人を福原に招くことを考える。さらに正式な国交を開くため、その場に後白河法皇(松田翔太)にも列席してほしいと願う。 宋から要人を招くためには、貢ぎ物として金(きん)が必要だった。そこで清盛は、奥州を治める藤原秀衡(京本政樹)を鎮守府将軍という要職につけ、その見返りに奥州特産の金を入手することに成功する。しかし、後白河を招くには問題があった。まず、法皇が宋人と面会することは前例がなく、先例を重んじる朝廷の猛反対が予測された。さらにせんだっての強訴の一件から、後白河との関係は悪化したままであった。 そこで清盛は、官職を解かれて暇を持て余していた時忠(森田剛)を後白河への使者として送る。人の心を読むことを得意とする時忠は、後白河に奥州の鳥の羽根を献上。新し物好きの彼の好奇心をたくみにあおり、宋人との面会の約束を取り付ける。 そんな平家の動きをいまいましげに見ていた摂政・基房(細川茂樹)。ある日、基房は平家を陥れる機会を手にする。京の橋で鷹(たか)狩りから帰る途中の重盛(窪田正孝)の嫡男・資盛(すけもり・大西健誠)と鉢合わせした基房は、因縁をつけて従者たちに資盛を襲わせる。礼儀を重んじる重盛ならば、わが子が辱めを受けても摂政の基房には復しゅうすることはないと計算しての犯行だった。 基房の予想どおり、重盛はこの事件について礼節を欠いていた資盛を叱るのみだった。時子(深田恭子)は、平家と藤原摂関家の一大事であり、訴えるべきだと主

  • S01E38 平家にあらずんば人にあらず

    • September 30, 2012
    • NHK

    後白河法皇(松田翔太)と宋人との面会を成功させた清盛(松山ケンイチ)は、宋船を福原に直接、入港させようと考える。そのため、大型船が入れるように大輪田泊(おおわだのとまり)の改修工事を兎丸(加藤浩次)に急がせる。そのためには波よけの堤防が必要だったが、兎丸はその工法が分からず、試行錯誤を繰りかえしていた。 京では、清盛から「都でつとめを果たしてくれ」といわれた時忠(森田剛)が、「禿(かむろ)」と呼ばれる身寄りのない子を密偵として町中に放ち、清盛の国づくりに異を唱える者を容赦なく断罪した。その手荒なやり口を見て、時子(深田恭子)は、このままでは平家が憎まれものになってしまうと心配する。 一方、伊豆では、政子(杏)が、頼朝(岡田将生)が涙ながらにつぶやいた「わが身は滅びても、源氏の魂は断じて滅びぬ」という言葉を忘れられずにいた。彼女が真剣なまなざしで父・時政(遠藤憲一)にその意味を問うと、頼朝の悲しい生い立ちを語り始める。源氏の御曹司である頼朝は父・義朝とともに戦った平治の乱で平清盛に敗れ、伊豆に流されたこと。その後、伊東祐親(峰竜太)の娘、八重姫(福田沙紀)と恋仲になり、赤子が生まれたが、清盛の怒りを恐れた祐親がその赤子を殺してしまったことを政子は聞かされる。初めて知った平清盛という大きな存在に政子は恐れおののくのだった。 福原では兎丸が、大輪田泊に堤防をつくる手立てを考えつく。古い船に大量の石を積んで沈め、それらを積み上げるという方法だった。そんな折、時子が病との知らせが入り、清盛は京にある時子の館へかけつける。に

  • S01E39 兎丸無念

    • October 7, 2012
    • NHK

    1171(承安元)年12月。遮那王(のちの義経:神木隆之介)は京・五条大橋の上で、弁慶(かつての鬼若:青木崇高)と鉢合わせする。遮那王を、平家の密偵・禿(かむろ)だと勘違いした弁慶は容赦なく斬りかかる。それをたくみにかわす遮那王との攻防の末、弁慶は目の前の少年がかつて世話をした常盤(武井咲)の子・牛若だと気づき、思わず抱きかかえた。 大輪田の泊(神戸港)の改修をおこなう平清盛(松山ケンイチ)は、宋国の使者と後白河法皇(松田翔太)の面会を成功させ、次は宋の高官を迎え、正式な交易を始めたいと考えていた。大願成就のために行った万灯会(まんとうえ)では、松明(たいまつ)の明かりを眺めながら、泊(とまり)の改修を一任している兎丸(加藤浩次)が民の信頼厚いことを実感。工事も順調に進んでいることに安堵(あんど)していた。 しかし兎丸は、禿を使った時忠(森田剛)の手荒なやり口と、それを黙認し続ける清盛に不満を募らせ、禿を野放しにすれば、痛い目を見るぞと、清盛に苦言を呈す。一方、福原での万灯会に招かれた西行(藤木直人)は、その後京の時子(深田恭子)を訪ね、清盛への不安な思いを吐露するのだった。 やがて清盛のもとに、宋の皇帝の名代とも言える宋・明州の長官が、3か月後に福原を訪れるという知らせが舞い込む。清盛は、それまでに泊の改修を完了せよと兎丸に命じる。早くても完成に半年はかかると見立てていた兎丸は反発するが清盛の意志は固かった。兎丸たちは何とか間に合わせようとするが、無理に急いだため、けが人が続出する。それでも現場の声に耳を貸さない清盛に、

  • S01E40 はかなき歌

    • October 14, 2012
    • NHK

    1174年、大輪田泊はついに完成し、清盛(松山ケンイチ)が長年夢みていた宋との貿易が始められた。一門のさらなる発展をめざす清盛は、後白河法皇(松田翔太)と建春門院滋子(成海璃子)を嚴島神社に招き、2人に変わらぬ忠誠を誓う。嚴島神社のように横へ横へと広がることが清盛の目指す世の姿だと聞かされ、いまだ理想の姿を描けない後白河法皇は清盛に先を越されたのではないかと焦る。 伊豆では、かつて源義朝につかえた上総常澄(きたろう)が大番役の務めの疲れか、急死。北条時政(遠藤憲一)の館に集まった東国の武士たちは、諸悪の根源は平家にあると不満を募らせるが、源頼朝(岡田将生)は力なくその場を立ち去る。政子(杏)は頼朝を追いかけ、このままでいいのかと頼朝に問い詰めるが、頼朝はいらだちながらも相手にしない。なおも追いすがる政子は思わず源氏重代の太刀を転がし、直そうとする。そのとき頼朝は太刀にふれるなと叫んだ。頼朝の秘めた武士の魂が目覚め始めていた。 福原で宋銭を用いた取り引きを目の当たりにして、かつての信西の弟子、後白河法皇の側近・西光(加藤虎ノ介)も珍しく協力的になり、その普及に努めていた。ある日、西光は信西がかつて復興させた相撲節会を行うため、清盛に協力を求める。しかし、宋との取り引きにまい進する清盛は、宮中行事などしている暇はないと一蹴。怒りを募らせた西光は日頃そりが合わない義弟の成親(吉沢悠)とも、「平家憎し」で結託するのだった。 そんな平家の敵対勢力をとりなすのは、清盛の義妹でもある滋子だった。彼女は西光と成親の自尊心をあおってたくみ

  • S01E41 賽の目の行方

    • October 21, 2012
    • NHK

    1176(安元2)年。 平清盛(松山ケンイチ)と後白河法皇(松田翔太)との関係をとりもってきた建春門院滋子(成海璃子)が急死した。今後も後白河法皇との関係を良好に保つため、高倉天皇(千葉雄大)の中宮となった清盛の娘・徳子(二階堂ふみ)が皇子を産むことを願う清盛だが、徳子に懐妊の兆しはなかった。そこへ、不穏な知らせが舞い込む。後白河法皇が、仏門に入っていた2人の息子を都に呼び戻し、高倉天皇の養子にしたというのだ。それは高倉天皇を政治の場から遠ざけるための布石のように清盛は感じた。 清盛は長男・重盛(窪田正孝)を後白河法皇のもとへさしむけ、法皇への忠誠心を訴えるとともに、四男・知盛(小柳友)を蔵人頭にするよう頼むが、後白河法皇は受け入れない。 危機感を募らせた清盛は、友好関係にある比叡山の僧・明雲(腹筋善之介)を呼び出し、いざというときには力を貸すよう念を押す。 伊豆では、頼朝(岡田将生)のことが気になる政子(杏)が、頼朝に源氏重代の太刀を見せてくれと懇願した。その熱意に押された頼朝は太刀を見せ、強き父・義朝(玉木宏)の記憶を話し始める。そんな父も清盛に敗れ、伊豆に流された自分にはもはや無念さしか残されていないと語る。そんな頼朝に政子は、東国武士のために立ち上がるべきだと訴えるが、頼朝は清盛という男の恐ろしさを語るのみだった。 1177年、後白河法皇は千僧供養のため福原を訪ねた。清盛とのわだかまりは消えたかに思えたが、後白河法皇は、「もうここへは来ない」と清盛に告げる。清盛はいざという時がきたことを覚悟した。 やがて明雲の命を受けた

  • S01E42 鹿ヶ谷の陰謀

    • October 28, 2012
    • NHK

    1177年4月のある夜更け、京・鹿ヶ谷の山荘には、後白河法皇(松田翔太)のもと、成親(吉沢悠)や西光(加藤虎ノ介)など、平清盛(松山ケンイチ)ら平家打倒を企てる不満分子たちが集まった。そこへ招かれた摂津源氏の武士・多田行綱(野仲イサオ)は企てを知り驚くが、西光と成親の説得により平家を撃つことを決意した。 一方伊豆では、北条時政(遠藤憲一)が娘・政子(杏)を平家配下の山木兼高へ嫁入りさせることを決めた。政子は源頼朝(岡田将生)の過去を深く知ったため、捨て置けないと打ち明けると時政は政子の頬をたたき、必ず山木のもとに行けと厳命する。 京では後白河法皇らの陰謀が始まっていた。まずは、根も葉もない言いがかりをつけて、清盛と盟友関係にある比叡山の明雲(腹筋善之介)を流罪にする。怒った比叡山の山法師たちが、力ずくで明雲を奪還すると、法皇は平家に山法師たちを攻めよと命を下した。 比叡山への攻撃に平重盛(窪田正孝)は二の足を踏み、判断をゆだねられた清盛はほどなく福原から上洛した。清盛は今回の後白河法皇のやり口には裏があるのではと、いぶかっていた。 多田行綱は源氏勢を結集させようと源頼政(宇梶剛士)を訪ねて平家打倒の陰謀への協力を請う。その陰謀とは、後白河法皇を訪ねて御所にきた清盛を捕らえて人質にし、六波羅にいる平家を攻め滅ぼすというものだった。だが、頼政は断り、さらに簡単に倒せるほど平家はもろくないと忠告される。 陰謀の決行間近で緊張感がみなぎる後白河法皇の御所に、重盛の妻・経子(高橋愛)が訪ねてきた。経子は成親の妹であった。計画が露見

  • S01E43 忠と孝のはざまで

    • November 4, 2012
    • NHK

    平家打倒の陰謀は未遂に終わり、首謀者の一人である西光(加藤虎ノ介)は、平清盛(松山ケンイチ)の命で斬首された。平家では、残る首謀者・成親(吉沢悠)をはじめ、陰謀に加わった者たちへの裁断が下されようとしていた。清盛は、成親が平治の乱でも平家に敵対したことを受け斬首に処そうとするが、重盛(窪田正孝)の必死の嘆願に根負けし、成親を流罪にとどめる。しかしわずかひと月後、成親は配流先で餓死する。 肩を落とす重盛に、成親を餓死させたとほのめかす清盛。こらえきれず重盛は、清盛の思い描く国の姿が見えないと訴えるが、清盛は黙って自分の国づくりを支えよと冷徹に突き放す。平家の嫡男でもあり、後白河法皇(松田翔太)の近臣でもある重盛はますますつらい立場に追い込まれていた。重盛は後白河法皇を慰めるべく訪ねると、法皇は西光と成親の悲惨な最期を改めて確認し、うらめしそうに笑いながら清盛の中にもののけの血がうずいていると告げる。 伊豆では、恋仲になった頼朝(岡田将生)と政子(杏)が時政(遠藤憲一)に結婚の許しを請おうとしていた。時政は激怒し反対するが、頼朝は政子とともに源氏を再興したいという志を訴え、時政の心を動かした。 一方、京で暮らす常盤(武井咲)のもとに、息子の遮那王(神木隆之介)と弁慶(青木崇高)が訪れ、平家を打倒すると宣言する。そして常盤の反対を押し切り、ふたりは平泉へと向かう。その途中、遮那王は父・義朝最期の地である尾張で自ら元服の儀式を行う。そこで弁慶は常盤からあずかった名前を伝えた。こうして「義経」が誕生した。源氏の魂は着々とよ

  • S01E44 そこからの眺め

    • November 11, 2012
    • NHK

    1179年、伊豆の源頼朝(岡田将生)は妻・政子(杏)と前年生まれた娘とともに幸福な日々を過ごしていた。東国武士たちは、頼朝の義父となることは清盛(松山ケンイチ)の怒りにふれるのではと北条時政(遠藤憲一)を心配するが、時政は平家の世は長くは続かないという予言めいたことを口にする。 平重盛(窪田正孝)はわが身をていして、父・清盛が後白河法皇(松田翔太)を幽閉する計画を阻止するが、その後心労がたたり病に伏す。一方、清盛のたくらみに感づいた後白河法皇は、平家の力をそごうと画策。藤原基房(細川茂樹)と手を組み、清盛が嚴島詣でに行くようにしむける。清盛の留守中、その娘・盛子(八木のぞみ)が病死すると、後白河法皇は彼女が管理する藤原摂関家の所領を強引に没収した。嚴島でそのことを知った清盛は怒りにかられた。 ばく大な財産を失った平家一門は、棟梁・重盛の病状を心配し、棟梁の代理を立てるべきではないかと話し合う。時忠(森田剛)は重盛の弟であり、正妻・時子(深田恭子)の子である宗盛(石黒英雄)を推すが、重盛の子・維盛(これもり:井之脇海)を推す声もあり、なかなか結論が出ない。重盛は宗盛ら弟たちや維盛ら子たちを呼び、そう遠くない自分の死後、清盛の国造りと一門の将来を支えるため力をあわせるよう諭した。 清盛を苦しめるためには、清盛の子がねらい目だと見抜いた後白河法皇は、病床の重盛を訪ねた。重盛に、清盛と自分との間を取り持ってくれたことに感謝しつつ、これからも平家との友好関係を望むなら、これに勝ってみよと重盛に無理やりに双六勝負をしかけた。息も絶

  • S01E45 以仁王の令旨

    • November 18, 2012
    • NHK

    後白河法皇(松田翔太)を鳥羽離宮に幽閉し、清盛(松山ケンイチ)は武士として初めて天下の頂に君臨する。清盛は福原にいながら朝廷の人事権を掌握し、1180年、高倉天皇(千葉雄大)に譲位を迫り、孫の東宮・言仁を即位させようとする。 一方、今回の政変で長年の所領を奪われてしまったのは、後白河法皇の子・以仁王(もちひとおう・柿澤勇人)。ふさぎ込む彼の様子を見かねた猶母の八条院暲子(あきこ・佐藤仁美)は、源頼政(宇梶剛士)を呼びだし、武力決起して平家討伐をせよとたきつける。しかし老いた頼政は、平家に逆らうなど愚の骨頂と言って断る。 東宮・言仁の即位に際し、朝廷で何かと物入りになると、伊豆には早速増税の命が下る。国のためのはずの租税が、平家のためにばかり使われている現実に、北条時政(遠藤憲一)は、いよいよ平家への不満が爆発するときがくると源頼朝(岡田将生)に示唆した。頼朝には徐々に武士としての心構えがよみがえりつつあった。 そのころ、義経(神木隆之介)と弁慶(青木崇高)は奥州平泉で藤原秀衡(京本政樹)のもとにいた。秀衡は、近頃の清盛の動きを警戒し、もし今後平家が平泉に押し寄せることがあれば、平泉の武力と財力を好きに使って応戦するがよいと、義経に言い含める。 各地で反平家の動きがさかんになる中、言仁が正式に即位して安徳天皇となった。清盛は慣例をやぶり、新院となった高倉上皇の嚴島神社への参詣計画を進める。しかし、寺社勢力は猛反発。日頃は仲悪しき寺同士も手を組み、結束を強めていく。 重盛が亡き後、平家の棟梁となったのは清盛の三男・宗盛(石黒

  • S01E46 頼朝挙兵

    • November 25, 2012
    • NHK

    不遇の皇子・以仁王(もちひとおう・柿澤勇人)が諸国の源氏に宛てた平家打倒の令旨が、伊豆の源頼朝(岡田将生)にも届いた。頼朝は源氏が再び立ち上がり、平家を攻めるときが迫っていると感じつつも、戸惑いを隠せない。そんな中、使者の源行家(江良潤)は、この挙兵には頼政(宇梶剛士)も参じていると伝える。時政(遠藤憲一)らに鼓舞され、頼朝はついに戦支度を始める。 そのころ清盛(松山ケンイチ)は、福原の新都建設計画に没頭していた。そのかたわらにはいつも、仏御前(木村多江)がいた。それまでちょう愛をうけていた祇王(尾上紫)と祇女(花影アリス)はすっかり取り残されていた。その姿を見ていた亡き兎丸の子・小兎丸(高杉真宙)は、清盛の目指す国づくりに疑念を抱く。 5月、以仁王の館にいた源頼政(宇梶剛士)は、上洛した清盛から呼び出される。よもやたくらみが露見したかとおののく頼政に、清盛は楽しげに福原遷都の計画を聞かせる。そして、亡き源義朝(玉木宏)とともに目指した武士の世をつくるため、協力を請うのだった。 その後、清盛は体調を崩した息子・知盛(小柳友)を見舞う。病床に伏していた知盛は、近ごろ馬が駆け回る音がよく聞こえると告げる。そのひと言が発端となり、清盛は以仁王のたくらみを知ることになる。露見したことを知った以仁王はすぐさま園城寺に難を避け、頼政もあとを追った。頼政までが以仁王側についたことを知った清盛は激怒する。平家側の厳しい追討から逃れ続け疲労困ぱいする以仁王と頼政。頼政は宇治川で奮戦するが敗走。やがて頼政は自害、以仁王も討ち死にし、全

  • S01E47 宿命の敗北

    • December 2, 2012
    • NHK

    1180年、源頼朝(岡田将生)が打倒平家を掲げて挙兵。武士の心を取り戻した清盛(松山ケンイチ)は、すぐに孫の維盛(井之脇海)を総大将、忠清(藤本隆宏)を軍師に任命し、頼朝追討を命じる。 頼朝たちは石橋山に陣を構えて援軍を待っていたが、平家の追討軍である大庭景親(木下政治)と伊東祐親(峰竜太)から攻撃を受け大敗を喫する。逃亡した頼朝たちは洞窟に身をひそめ、隠れていると、敵方の武将・梶原景時(浜田学)はあえて頼朝たちを見逃し、九死に一生を得る。 頼朝挙兵の知らせは奥州平泉の義経(神木隆之介)へも届いた。義経は義兄・頼朝のもとへはせ参じたいと藤原秀衡(京本政樹)に願い出るが、その身を案ずる秀衡は猛反対。そのとき、弁慶(青木崇高)が自身の頭上の的を射よと義経に命じ、自分たちの運と度胸を試してみよと言いだす。そして義経は見事に的を射ぬき、ついに秀衡が折れることになった。 各地でも次々に源氏武士が決起。平家一門も追討の準備をすすめ、福原の清盛の前に集まった。清盛は戦のかたわら福原の内裏建築も進めていたが、一門の誰もが、未だ遷都に疑問を感じていた。しかし、清盛は国づくりを成し遂げることこそが真の勝利だと言い放つ。 下総(今の千葉県)で態勢を立て直していた頼朝のもとへ、二千騎という大軍を率いた上総広常(高杉亘)が参じた。しかし頼朝を侮るような高飛車な態度の広常に、頼朝は去るよう命じる。その毅然とした態度に広常は感服し、こうして頼朝は東国の名だたる武士たちの心を捉えていった。そして父・義朝(玉木宏)の悲願であった武士の世をつくるため、義

  • S01E48 幻の都

    • December 9, 2012
    • NHK

    富士川の戦いで平家軍は大敗した。平家はすでに武門ではないという忠清(藤本隆宏)の言葉は、清盛(松山ケンイチ)や一門の心に強く刻まれた。ぼう然と部屋にたたずむ清盛に盛国(上川隆也)は声もかけられない。そして介錯を願う忠清に、盛国は平家の危機である今、忠清がいかに重要かを説き、思いとどまらせた。 一方、富士川の戦いから無事帰還し、鎌倉に入った源頼朝(岡田将生)は、戦で手柄を立てた者に領地を与えるなどして、着々と東国武士を配下につけていた。 すでに、各地で源氏が蜂起。寺社勢力にも謀反の兆しが見えていた。福原では病に倒れた高倉上皇(千葉雄大)が快方に向かう様子がなく、清盛が見舞いに訪れると、徳子(二階堂ふみ)が高倉上皇の心労を告げ、上皇の病の理由が遷都にあるのではと訴えた。 公卿たちも不安にかられていた。藤原兼実(相島一之)は、都を京に戻すべきと強く主張。ほかの公卿たちも重盛存命の折は秩序が保たれていたと愚痴を言いだす始末。それを平家の棟梁・宗盛(石黒英雄)は黙って耐えながら聞いていた。 後日、宗盛は一門を集め、清盛に還都を申し出る。当然のごとく拒否する清盛だったが、いつになく宗盛も一歩も引かない。そして、ふがいない自らの半生を省みながら、自分の役目は、今父上をお諫めすることだと涙ながらに訴える。さすがの清盛も返す言葉がなく、ついに京への還都を決めるのだった。 幼き安徳天皇のために清盛が建てた福原の新内裏では、五節の舞が安徳天皇に献上された。華やかな宴の中、さまざまな思いを胸にひとり涙する清盛。本拠として10年あまりを過ごし

  • S01E49 双六が終わるとき

    • December 16, 2012
    • NHK

    清盛(松山ケンイチ)の五男・重衡(辻本祐樹)が南都(現在の奈良)を焼き打ちにしたことにより、天下の人心はもはや平家からまったく離れていた。各地で謀反が相次ぎ、平家は次第に四面楚歌となっていく。さらに不幸なことに、病床にふしていた高倉上皇(千葉雄大)が世を去ってしまう。高倉上皇は最期まで后である徳子(二階堂ふみ)の行く末を案じながら、21歳の若さでの崩御だった。 高倉上皇の崩御は、上皇の父・後白河法皇(松田翔太)の院政が、約1年半ぶりに復活することを意味していた。鳥羽離宮での幽閉を解かれ、久方ぶりに清盛と対面した後白河法皇は、清盛がおこしたクーデター、「治承三年の政変」も自分のシナリオどおりだったことをにおわせ、清盛をがく然とさせる。平家一門も、法皇は幽閉されながら世を操っておられたのだとぞっとする。 清盛は、高倉上皇をなくしたばかりの娘・徳子のもとへ時子(深田恭子)を行かせ、法皇の後宮に入るよう説得させる。しかし、徳子はかたくなに拒否。それでもあきらめず、「また別の手を打つ」という清盛を、時子はやさしくとりなし、励ますのだった。 一方、鎌倉の頼朝(岡田将生)のもとには、梶原景時(浜田学)をはじめ、続々と武士たちが集まる。頼朝は彼らを御家人(ごけにん)と呼び、新たな「武士の世」の政治体制を作り始めていた。 京の上西門院統子(愛原実花)の館では高倉上皇をしのぶ歌会が催された。上西門院は後白河法皇の姉であり、高倉上皇は甥にあたる。その歌会には西行(藤木直人)の姿もあった。西行は戦乱で多数の人が亡くなったことを詠み、それこそが

  • S01E50 遊びをせんとや生まれけむ

    • December 23, 2012
    • NHK

    突然の熱病に倒れた清盛(松山ケンイチ)は生き霊となって、遠く伊勢・二見浦にいる西行(藤木直人)の目の前に姿を現す。はじめはひどく驚く西行だったが、話を聞くうちに事態を理解し、清盛の霊に死期が近いことを説く。京では高熱にうなされている清盛を、平家一門が祈るように見守っていたが、手の施しようもなかった。 一方、後白河法皇(松田翔太)は清盛危篤の報に接し、思いつめたように今様を歌い、踊り続ける。 「♪遊びをせんとや生まれけむ。戯れせんとや生まれけん♪」 生に執着する清盛の様子を見かねた西行は、思いやりあふれる言葉で諭す。そして西行の言葉でようやく自分の寿命を受け入れた清盛は一門の前でむくっと立ち上がり、「―きっと、わが墓前に、頼朝が首を供えよ!」と言い遺し、1181年の春、絶命する。64年の生涯だった。 西行は京の平家一門を訪れ、清盛の遺言を伝える。二見浦の庵で清盛と交わした最後の会話がみんなへの遺言だったのだ。西行の姿はいつしか清盛そのものとなり、それぞれに遺言が伝えられた。 その後も、平家は一連托生の強い絆のもとにそれぞれ戦った。源氏軍の侵攻により、都落ちを余儀なくされたのは1183年。この都落ちはそれぞれの行く末に多大は影響をもたらした。頼盛(西島隆弘)は清盛の遺言を受けて、平家の血を守ろうと考え鎌倉の頼朝(岡田将生)を頼った。侍大将の忠清(藤本隆宏)は伊勢で戦ったが捕縛され、斬首となった。その後、態勢を立て直した平家だが、一の谷で重衡(辻本祐樹)は捕らえられて斬首となり、逃亡した維盛(井之脇海)は後に入水して果てた。 壇ノ浦で

Additional Specials

  • SPECIAL 0x1 総集編 - 武士の世

    • January 2, 2013
    • NHK

    武士が「王家の犬」と呼ばれ、藤原摂関家をはじめとする貴族たちから蔑まれていた時代、清盛は時の最高権力者・白河法皇の落胤として生を享け、平氏の棟梁・平忠盛の子として成長する。やがて自らの出生の秘密を知った清盛は「自分は何者なのか?」と思い悩みながら、平氏と並び立つ源氏の嫡男・源義朝と競い合うように一人前の武士へと成長していく。

  • SPECIAL 0x2 総集編 - 保元平治の乱

    • January 3, 2013
    • NHK

    清盛が平氏の棟梁を継承して間もなく、保元の乱が起こり、平氏・源氏もそれぞれの陣営に別れた骨肉の戦いの末、武士の力が戦の趨勢を決めたことに清盛・義朝は武士の世の到来を期待するが、勝利した後白河帝に崇徳院方についた一族の処断を強いられる結果に終わる。乱後、権力を握った信西と組んで順調に出世する清盛に対し、冷遇される義朝は不満を募らせ、遂に反信西派の誘いに乗って行動を起こす。平氏と源氏、決着の時が迫っていた。

  • SPECIAL 0x3 総集編 - 海の都

    • January 3, 2013
    • NHK

    平治の乱に勝利した清盛は、昇進を重ねて太政大臣にまで上り詰め、平家は栄華を極める。出家して福原に移り住んだ清盛は、ここに念願の宋との交易を始める為の新しい港の建設を始める。しかし都では次第に平家の専横に対する王家・貴族たちの不満が高まり、相次ぐ平家排斥の動きに遂に清盛は決起し、後白河法皇を幽閉して自らが権力の頂に立つ。己の理想とする国造りを進める清盛だが、平家に不満を抱く東国の武士達が義朝の遺児・頼朝を旗頭として挙兵し、勢いを増していく中で病に倒れる。清盛の死後、平家は源氏に追い詰められ、遂に壇ノ浦で滅亡に至る。清盛が目指した「武士の世」の夢は頼朝へと受け継がれていく。