<昭和元年(1926)~昭和3年(1928)> ・昭和天皇が即位 ・昭和金融恐慌が始まる ・日本が山東へ出兵、中国国民党が北伐を中断 ・蔣介石が極秘来日 <内容> 大正15年12月25日。長い間、療養生活を送っていた大正天皇が崩御。裕仁親王が天皇に即位し、元号を昭和としました。その3か月後、大蔵大臣の失言をきっかけに、昭和金融恐慌が始まります。その責任をとり内閣は総辞職。対応を任されたのが、高橋是清大蔵大臣でした。高橋是清は、意外な方法で金融恐慌の沈静化を成功させますが、それはどのようなものだったでしょう。同じころ中国では、全国統一を目指し、手を結んだ中国国民党と中国共産党が分裂。いわゆる“国共合作”が崩壊!その背後には共産党を警戒する、アメリカやイギリスの存在がありました。中国が混乱する中、26代総理・田中義一は日本人居留民保護を名目に山東半島への出兵を決断します。それは、これまで中国に対し内政不干渉の立場をとってきた日本政府が、強硬外交へ大幅転換を図った瞬間でした。今回は、中国での権益拡大の意図を露骨にみせ始める、日本の様子を詳しくみていきます。