天下分け目の戦い・関ヶ原。これまで、「天下の裏切り者」とされてきた小早川秀秋。最近の研究では、裏切り者説に、多くの疑問が投げかけられている。その真相に迫る。 関ヶ原の合戦の時、小早川秀秋19歳。秀秋には、二つの顔があった。秀吉の後継者として、「羽柴秀秋」という顔。その後、秀吉の実子・秀頼が誕生すると、毛利一門の小早川家の養子となる。「小早川秀秋」の顔である。近年の研究から、関ケ原の合戦の直前、秀秋は、東軍に加担する決意を固めていた可能性が高いという。若くして亡くなった秀秋が、なぜ「天下の裏切り者」の汚名を負うことになったのかを探る。