元和6年(1620)、江戸幕府二代将軍の徳川秀忠は攻め滅ぼした豊臣の城を地下に埋め、徳川の大坂城を造ることにした。徳川の権勢を世に示す2倍の大きさの石垣普請。命じられたのは豊臣恩顧の大名たちだった。複雑な思いを抱えながらも生き残りをかけて競い合ったが、63藩の統率がとれずバラバラな石垣になってしまう。秀忠が打った打開策とは?個性豊かな戦国のサムライたちを変貌させた壮大な石垣レースの舞台裏に迫る。