今回は「征韓論」が飛び出し明治新政府内の不協和音が露わになった明治6年を詳しく紹介する。欧米を視察中の岩倉使節団が帰国するまで大改革はしないと約束していた西郷隆盛を中心とする留守政府。しかし明治6年には太陽暦の採用、徴兵令、地租改正と次々と独断で改革を進めてしまう。そこに見え隠れするのは西郷隆盛の政府に対する不信感。使節団の船に対し『沈めばいい』と衝撃の言葉を放った西郷の本心とは?さらに留守政府内で持ち上がったのは、李氏朝鮮を武力で開国しようという征韓論。古代から近づいては離れ…を繰り返す日朝関係を振り返り、政府を二分する政変につながる征韓論が、なぜ生まれたのかを考える。