天正14年(1586年)大坂城。上杉家家臣の直江兼続(妻夫木聡)は、主君の景勝(北村一輝)とともに、豊臣秀吉(笹野高史)に謁見していた。兼続の有能さは諸国の武将たち知れ渡っており、秀吉は兼続を自らの家臣にしようと呼び寄せたのだ。 兼続が優れた人物に育ったのは永禄7年(1564年)越後・上田庄で起きた事件がきっかけだった。同年7月坂戸城主・長尾政景(村田一道)が、上杉輝虎(後の謙信/阿部寛)の参謀・宇佐美定満(真木仁)と、野尻湖で溺死する。長尾家の家臣たちは、輝虎が仕組んだ暗殺と、すぐさま城に集まり戦の準備。混乱する場内に与六(後の兼続)の父・樋口惣右衛門(高嶋政伸)もいた。そこに突如輝虎が現れ、残された政景の妻・桃(高島礼子)と10歳の息子・喜平次(後の景勝/溝口琢矢)と対面する。桃は輝虎の姉である。その年の秋、輝虎は喜平次を狩に連れだし自らの養子にすると伝える。そして喜平次は坂戸にある寺・雲洞庵で、侍としての修業を始める。 一方、5歳の与六(加藤清史郎)は将来、喜平次の家臣になるため、親元から離れ、同じ雲洞庵での生活を始めるのであった。