福井藩の藩医の家に生まれた橋本左内は15歳で「啓発録」を著すなど、早くから天才ぶりをあらわしていました。期待にたがわず、藩主・松平春嶽の抜てきを受け政治の表舞台で活躍する左内。西郷隆盛も心酔したその才知で、左内は来たるべき近代日本の姿を予言するような手紙をしたためます。